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みんなのブログ - あきおさんのエントリ
 あきおさんのエントリ配信

2008/12/31
くくりの年に向けて

執筆者: あきお (8:28 pm)
つい先日のことです。暮れも押し迫った冬至の日の朝、「人間家族」編集長の大築さんが、そしてその後を追うように、詩人であり大長老のナナオサカキが相次いでスピリットの世界へと旅立ち、縁あって通夜・葬儀に参列してきました。図らずも父に始まり、この暮れに4度もお骨上げしてしまいました…。


この同じ時期に、他にも下北沢「ぐ」の陽介さん、亀山「月の庭」のまさるなど、日本でのオルタナティブ・ ムーブメントを引っ張って来た先駆者達が相次いで亡くなりました。故人のご縁で長老たちとも一堂に再開し、「ビートニクス」「部族」からの流れを再確認し、かつての野草社の「80年代」「自然生活」のバックナンバーを再読する機会を得ました。

「80年代」の目次には、今まさにタイムリーな話題がオンパレードで、すなわち2~30年前から状況は全く変っておらず(いや、悪くなる一方!)、その答えはその当時から示されており、その道のりを故人たちは先頭に立って歩き、その歩みがあったからこそ、各地に草の根の動きが広がり、今日の自然食や精神世界ブーム、アースデイや野外フェスティバルなど、様々なムーブメントが花開いているのだと思いました。

この歩みの中にこそ「大地と共に、いのちを敬い生きる」スピリットが、確かなものとしてあることを再確認しました。今日、野外フェスティバルやフリーペーパーなどが入り口となって、心開いた若者たちが増えて行く中で、彼ら彼女らは、そのスピリットに触れたがっており、そこに答えを見出して、何とかして閉塞した現実から抜け出したいと願っていることを感じます。

このスピリットを受け継ぐことこそが、ちょっとだけ若者たちより先を歩いている、そして井戸を掘った先人たちに続く自分たち世代に求められているのだと強く思いました。


さて来年は2009年、くくりの年だと思います。では、何をどうくくればいいのでしょうか? 

世界経済は増々混乱するでしょうし、その波は私たちの消費生活をもろに襲うことでしょう。しかし逆を返せば、問題の所在がより明白になるということであり、私たちは今までの生活を根底から見直さなくてはいけない状況へと、否応無しに追いやられるのだと思います。

この波を軽やかに乗り越えていくには、一人一人が真の気づきを得て、内面からチェンジしていくしかないように思います。(もがきまくっている僕が言うのもヘンですがね。)
その答えは、既に過去から示されており、既に自分自身が知っている。あとは身を軽くして歩んでいくだけだとも。

いろんな意味で、社会も、私たち一人一人も、今までの歩みをくくり、腹をくくり、次のステージへとシフトアップする、そんな機会が訪れているのだと思います。来年はとても重要な年になる気がしてなりません。

最後に、ナナオがかつて語った言葉を転載します。私たちはどこへと向かうべきなのか? それをナナオは「第四世界」または「地球B」と呼んでいた。

「この地球には、まず日本やアメリカなどの帝国主義国家(資本主義国家)がある。これを1としよう。2番目にはソ連や中国などの共産主義国家がある。そして3番目にアジアやアフリカ、南アメリカなどの1や2に近づこうとしている国々がある。しかし地球には、まだこの1,2,3のどれにも属していない4番目の勢力(人々)がいる。それは、第3世界のように1や2に近づこうとは決して思っていない種類の人間たちだ。それを代表するのは、例えばブッシュマンやアメリカインディアン、ニューギニア人や中南米のインディオたち。バンヤン。そして日本にもアメリカにも少数だが確かにいる人たちだ。これはつまり、ぼくらのことだ。
1も2も3の世界もともに自分自身の目先の利益、物にとらわれきってしまっており、そのためには全人類のものであるはずの地球を汚し破壊することも平気でやっている今、ぼくら、第4世界の人間たちは、全世界の問題を引き受けなければならなくなってきた。ぼくらはそれらの問題から逃げるべきではない。それがぼくらのやるべき仕事なんだ。
そこにおいて利益は問題ではない。問題なのは地球への、そして一人一人の人間への愛(LOVE)であり尊敬なんだ。火山や黒潮が大切なのも、それが地球の代表だからだ。ゲイリーが“スワノセは国宝ではなく地球宝にするべきだ”と言ったが、そういう視点が必要だ。“スワノセを企業の暴力から護ろう!”というのは地域エゴからいうのではなく、地球全体が大事だからやるということだ。」

(「名前のない新聞」1974年夏の号外より)

晩年のナナオは、大鹿村のボブさん宅のすぐ下の急斜面に張り付くように建った大きな家に暮らしていた。彼の部屋と外とを隔てるのは障子戸一枚、昔ながらの家。冬山の景色を眺めながら、静かに仏になる準備をしていたのかもしれない。死因は急性心不全。発見されたのは、畳の上でなく、泥足のまま、外の土の上。道の上に生き、道の上に逝く。カッコ良すぎ! 今時は病院でしか死ねず、仏になる準備もさせてもらえぬまま、人生を閉じなくてはいけないというのに。その遺骨は、今まで見たことが無いほどにきれいで、とてもしっかりしていました。墓は作らず、縁ある土地に縁ある人の手によって散骨されています。
「ありがとう、ナナオ。」 そしてゲイリーにならって、「おめでとう、ナナオ!」


年末の大晦日に際して、なにやら重々しいことを書き綴ってしまいました。
相変わらずだなぁ〜、とご容赦ください。
富山では年末年始は雪も降るようで、ようやく冬らしくなってきました。
皆様、お互い風邪などひかぬよう、体調には気をつけましょうね。
また来年、元気にお会いしましょう!

May we walk in beauty !
こうちあきお
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