ログイン |  新規登録    登録数:133名 | サイトマップ |
カテゴリ一覧
アースデイとやま の記録

「みんなのブログ」の使い方!
ログインすると左メニューに「ブログ投稿」が出ます!日記、コラムなどご自由に書き込んで、
お好きなカテゴリーを選び投稿ボタン(即、掲載)です。(カテゴリーは今後、増えていきますよ!)
みんなのブログ - あきおさんのエントリ
 あきおさんのエントリ配信

2009/02/13
TOKYO FM「ap bank radio」でお話ししてきました

執筆者: あきお (11:20 pm)
今日は季節外れの春一番が吹きまくりました。異常気象も日常茶飯事になってきてきました。
こう暖かいと、気もそぞろ、そわそわしてしまい、やはり畑に行ってきました。するとキツネに出くわしました。普段はなかなか見かけないのですが。
ここには、他にもタヌキ、猿、カモシカが頻繁にやってきます。時にはツキノワグマも。
そして、おそらくは猿とカモシカの仕業でしょう。残しておいた大根、かぶ、白菜、人参、キャベツ、ネギ、葉もの・・・みんな喰われていました。春先用にと残しておいたのですが、甘かった・・・。悔しいけど新鮮な野菜が食べたかったので、そのわずかな食べ残しを持って帰りました。頭の甘いところをかじられた大根とか。
まだ小さくて見向きもされなかった、草に隠れた野菜たちが、彼らに見つからないように、大きく育ってくれることを祈るばかりです。いや〜、なかなか苦労しますね。


恥ずかしながら、明日2月14日なんとバレンタインデーの夜、しかもラブラブタイムの22:00〜23:00というとんでもない時間に、なぜか僕が? TOKYO FM「ap bank radio」に出演します。全国ネットです。
http://www.tfm.co.jp/apradio/


でも、ぜんぜんラブラブな話しじゃなかった・・・(こんなんでいいのかねぇ〜) こんなこと滅多にないので、よかったら聴いてみてください。

収録だったので、アースデイのこと、インディアンのこと、自然農のことなど、聞かれるままに、とりとめもなく1時間ほど話ししてきました。
でも、短い時間の中で、初めて話しを聞く、一般の多くの人に向けて、言いたいことを簡潔に伝えるって、なかなかできないものですね。

全てのことについて、肝心なことを話せなかったのが心残りなので、この場に書いてスッキリさせようと思います。


◎まずはアースデイに関して。

公害が社会問題化してきた1970〜80年代、そんな環境問題があることを世間にアピールするまたとない機会がアースデイだった。
90年代になると、環境を重視する人も増え、様々な市民グループが生まれた。アースデイは、暮らしの目線から生まれたそんな環境グループが横につながり、ネットワークするきっかけとなり、年に一度のハレ舞台になった。
2000年代に入り、東京でもニコルさんを実行委員長にして新たなアースデイが始まり(僕はこの時の事務局を担当)、今では12万人!も代々木公園に集まるまでに成長。マスメディアや企業は盛んにエコを打ち出し、環境意識が国民レベルにまで広がっていった。
アースデイにだけゴミを拾うんじゃなくて、毎日がアースデイになり、エコでないと売れない時代になり、アースデイみたいなマーケットもそこかしこで開かれている。

大統領がアースデイのメッセージを発信しているほどアースデイが認知されている本家アメリカでは、草の根市民グループの人たちの間ではアースデイは既に役割を終えたという認識のようだ。今では「グリーンアップル・フェスティバル」という大きな野外音楽祭の開催をスポンサードするのが大きな活動になっている。
来年はアースデイ40周年ということで、世界中でこのビッグフェスティバルを計画しており、多額の協賛金を出すナショナルスポンサーを探しているらしい。いかにもアメリカらしいビッグビジネスの話しだ。

地域の市民グループが集まって「地球市民の祭り」として、また一人ひとりが「地球のために私にできることをやる日」として始めたアースデイ。
でも、本当に役割を終えたのか? 
僕はこれからが本番なんだと思う。環境問題は増々深刻化する中、その解決に向けては社会を構成する全てのセクター(政治、行政、企業、学校、市民)が、一緒になって働かなくてはいけない。

・最大の消費源である街とそこでの暮らしを創り直し、お金と人の流れを変える。それは地域の自然、産業、暮らしを再生するカギにもなるだろう。
・全てにおいて地球意識(ガイア、ワンアース)を持ち、適正なエネルギーと適正な技術をバランスを持って使う。
・未来へ自然と文化を受け継ぐ。自然は子孫からの預かりもの。そして、自分たちの都合で判断せず、未来の子供たちのことを考えて意思決定する。

アースデイは反対運動から始まっていない。みんなでできることをやっていこうという、いわば「賛成運動」であり、だからこんなに広がった。つまり、アースデイであれば全てのセクターが集まりやすい。しかも市民が中心となって。

これからの2010年代は、「社会実現」がテーマだと思う。「地球意識」を持って暮らしと社会の仕組みを変えていく、まさに本番のその時である。

地方で暮らしていると、各セクターの人との距離はとても近い。地縁、血縁でつながっており、議員も役人も社長も先生も主婦も、みんなで一緒に地域を良くしていこうと、一つになりやすい。社会実現させる現場は、まさに小さな一つひとつの町にある。

垣根を越え、小異や権益を捨てて、地球意識を持って共に働く時だと思う。今まで以上に大きくつながり行動する時だと思う。大都市から発信された情報や、時代の流れに後押しされながら、地域で実践し、社会実現させていく。地域での成功事例は他の地域にも伝播するし、都市にもフィードバックされるだろう。

地球意識を持ち、つながり合って、社会実現させていくきっかけとして、そこにアースデイの次の役割を見たい。
ちなみに今年のアースデイとやまは、生協や団体も一緒になって、地元メディアグループと共催するので企業も積極的に参加して、県も市も応援しているという、今までにない広がりになってきた。自転車による街づくりをテーマの一つに掲げ、具体的な施策も提言していく。秋には昨年に引き続き富山大学での開催も予定している。

アースデイの役割も、70〜80年代の環境意識の啓発、90年代の市民ネットワークの広がり、2000年代の一般社会への広がりというように移り変わり、2010年代はいよいよ社会実現へと向かって行くといいと思う。そこに次のアースデイのビジョンがあると思う。

そして、環境問題に国境はない。アースデイのネットワークは、東アジアにまで広がっていくといいと思う。
私たちの食や消費が東アジアや世界中の自然を破壊しており、日本の技術や自然への応じ方のまま、東アジア各地や世界中で開発という破壊が進められている。

私たち地球人は運命を共にしている。
私たち日本人は大きな責任を負っている。
私が変われば、世界は変わる。


◎インディアンについて。

先住民ブームではあるが、結局は皆、縄文時代には戻れないし、科学を使いこなして・・・うんぬんとすぐなる。そして便利さを優先させてしまう。でも、科学文明と大地のスピリットは、本当に共存できないのか?

その試金石となるのが、来年名古屋で開かれる「生物多様性条約」(COP10)。これは、私たちは自然からの恩恵(あらゆる資源や水、空気など)を受けて産業を興し、社会を発展させてきた。その自然とは、生物の多様性によって裏付けられている。
しかし、自然破壊によってその生物多様性は失われており、このままでは産業自体が成り立たなくなっていく。だから地球温暖化防止条約のように数値目標を定め、自然を守っていこうというものである。
http://www.biodic.go.jp/biodiversity/ http://www.jf-biodiversity.org/

つまり、やっと「いのち」が大きな世界的テーマに上がったのだ。

しかし、この条約を真に実現させるということは、「いのちは全てつながっている」ことを理解し、そのいのちの道の上に、バランスと敬いを持って生きていくという、先住民の生き方に通じることだと思う。そして、科学といういわば自分の思いのままに自然をコントロールし、産業を発展させていく技術と共存させることに他ならない。
この相反するものを両立させようとする試み。最近よく耳にする「持続可能な開発」というのも相反するもの同士で、同じ感じ。最近のテーマは、矛盾する今を映し出していて、皆このようである。

先住民は、現代においても自分たちは決して少数派ではないという。自分たちには木や虫や鳥や獣やたくさんの兄弟がおり、むしろ自然を破壊している人達の方が少数派であるという。自分たちは自然の一部であるという意識の現れである。先住民はあくまでも地球生命圏(ガイア)の立場に立っている。
しかし条約は、いかに自然を長持ちさせてそこに依存し続けられるかというためのものである。立ち位置が奪う側である限り、残念ながら自然は失われ続けるであろう。

では、私たちはもう一度地球の一員として自然界の一部として、持てる知恵や技術を適正に使い、豊かな文化を育み、喜びの中で永遠の未来を夢見ることができるのだろうか? その答えを歩まない限り、人類の未来はないだろう。
それはまさに、科学文明と大地のスピリットとの共存に他ならないと思う。

例えばこんな想像はどうだろう。インディアンなど先住民がコンピュータやテクノロジーを使いこなし、産業を起こし、地域社会を担い、国際社会においても役割を果たしていった場合、様々なシーンにおいてどんな選択をしていくのか? どんな技術とエネルギーを使い、どんな結び付きをもって、社会をつくっていくのか?

時代は大きくさかのぼるが、いい前例としてかつての日本人の姿が見えてくる。日本では約2000年前に、先住民の縄文文明と、科学とコントロールの大陸からの文明が時間をかけて融合し、弥生文明を生み出した歴史がある。文明の衝突ではない。文明の融和だ。
弥生は先住民の自然観や自然信仰と科学をバランスよく併せ持った文明だと思う。世界がシフトする道のりを、特に縄文から弥生への移行期から学べるのではないだろうか。そしてちょっと前まで、おそらく江戸時代までは、日本はまだ弥生時代だったのだ。

しかし明治以降、特に戦後は自然への敬いを忘れ、高度に磨き上げられていた美意識を失い、日本中をコンクリートで埋め尽くし、人までも大量生産・廃棄する、安っぽくて幼稚な民族に成り下がってしまった・・・。
そして、山里に住む80〜90代のごく一部の老人たちの暮らしや経験から、かつての日本人が自然と共に生きてきた知恵や、育まれてきた文化を学ぶことができる、本当に最後のチャンスとなった。

また、戦後沖縄の自然を開発の名のもとに壊し続けてきたが、沖縄にはまだ聖なる土地がそこかしこに残っており、神々がいる。旧暦を使い、自然と共に自然を敬う暮らしが、まだ色濃く残っている。そして何より彼らは、南に暮らしていた縄文人の末裔である。
北の縄文人の末裔であるアイヌ民族からも、もっともっと学ばせてもらうといいと思う。我々の祖先はあまりにもひどい仕打ちをアイヌにし続けて来た。これからは敬いを持って償いとするのがいいと思う。

世界中でエコビレッジや、共生のコミュニティづくりが始まっている。日本のかつての里山の暮らしは、とてもいいお手本になるし、実際にCOP10を通して里山を生物多様性モデルとして見直し、限界集落となった里山を再生する動きが始まるだろう。
これは従来のような村おこしではない。里山のいのちの大きな巡りに依存しながら、その循環の中で暮らすことだと思う。そこから動かなくても暮らしていける、かつて営まれていた、大地の上に自立した暮らしを始めることだと思う。きっとそれは、かつて見た日本の山里の美しいたたずまいと、美しい人の姿となって目に映るだろう。

私たち日本人は、過去から学ぶことによって、未来への良いモデルを示すことができるはずです。


◎自然農について。

自然農という農法は数多あるようだが、耕したり、肥料で育てる限り「自然」ではないと思う。

「耕す」ということは、自然を均一な状態にならし、コントロールしやすくすることである。その時点で、地上と地中の生態系は破壊され、砂漠化してしまう。
だから肥料を投入しないと作物は育たず、化学であれ、有機であれ、微生物であれ、肥料で育てることに変わりはない。
その肥料は、多大なエネルギーをかけて、よそで作られたものであり、家畜糞尿や残飯などを循環させているなどといっても、その循環は大きすぎて、かえってエネルギーを浪費している。
自然界はその場で循環しているのに、人間はエネルギーをかけて循環させている。これは決して持続可能ではないだろうし、真の循環なのだろうか?
さらに土を物としてしか見ないため、土は肥料を補ったり触媒程度の意味しか持たず、ゆえに水耕栽培などの発想が生まれる。しかし肥料を施すにはバランスが肝心で、窒素過多になったり病気を招かないためには、高度な技術が求められる。

ところが自然農では、次のような真反対の結果が得られる。
・「耕さない」ので、地上も地中も生態系は壊れることがない。
草で地表が覆われているため、水分の蒸発を防ぎ、夜露を蓄えてくれる。灌水する必要がない。
森の土がふかふかで肥えているように、枯れた草や生き物の死骸、排泄物が生態系として巡り堆積して、森の土のような豊かな状態を田畑につくることができる。
こぼれ種が育ち、畑に根付く。その畑の自然環境になじんだ種となる。
・「肥料農薬に頼らず」とも、その土地の地力によって栽培できる。地力は耕作を重ねることで奪われていくのではなく、森のように亡骸の層が積み重なってむしろ年々肥えていく。肥料を使わないので病気になることもない。
・全てはその田畑で巡っているので、肥料を外から「持ち込まない」でも育つ。わらや野菜くずなどは「持ち出さない」で、食べる分以外は巡らせるようにする。この場合、狭い田畑の中にこだわらず、その周辺環境(生命圏)の中で巡らすと考えた方がいい。
・その生命圏にいる虫や草は、その田畑の自然を豊かに巡らせている必要構成員であり、欠かすことはできない。だから「草も虫も敵としない」。
・肥料ではなく、地力で育つ自然農の野菜は、野草のように健康そのままで、太陽と大地といのちのエネルギーに満ちている。必要以上に大きくなく、味は濃く、時間が経っても腐って溶けたりせず枯れる。

人は自然を恐れてコントロールするのではなく、自然を信頼し見守り添い従うだけでいいということを、自然農は教えてくれる。

この「耕さない」というのは、いろいろに当てはまると思う。
例えば今日の教育も人を耕しており、その結果、同じ人間ばかり作ろうとしている。これは、人の個性や可能性を信じていない、見守れない表れである。
また、グローバリゼーションのもとで市場は耕やされ、同じ価値観で同じ商品だけが世界を巡り、人はますます貧しくなっていく。

自然も人も信用できず、永遠に耕し続け、永遠に新たなエネルギーをどこかから持ってきて投入し続けるなど、それ自体が持続不可能だと思う。だからエコロジカルフットプリントで言われるように、地球がいくつあっても暮らしていけない。それを持続させるための産業があるのだとすると、その産業活動自体がマイナス要因を大きくする原因である。そしてそのツケが、温暖化など様々な形で回って来ている。

つまり、「耕す」という当たり前だと思われていたこと自体が、持続不可能をもたらす根本原因であって、この呪縛から抜け出せない限り、決して持続可能な社会は訪れないと思う。

よく問われることに、私たちは、どこまで戻ってやり直せばいいのか?というものがある。その答えは、時代をさかのぼることではない。
それこそが「耕さない」であり、それは問題をいっさい生まない唯一の解決法であり、耕さない限り自然界が理のままに常に味方してくれると思う。
自然農は、永続可能な農業の道しるべとなるだけでなく、自然との共生について、そして人がこれから歩んでいくべき道をも指し示していると思う。


◎そして、ワールドシフトに向けて。

宇宙物理学者であり、「ガイアシンフォニー第5番」では「惑星意識」について語っていた、世界賢人会議ブダペストクラブの代表アーヴィン・ラズロ博士が、世界の変化(ワールドシフト)を呼びかけています。

人類が今まで通り営み続ければ、確実に自滅することが分かっている今日、私たちは“茹でガエル”となって破滅(ブレークダウン)を受け入れるのか、それとも変化を受け入れシフトすることで、危機を乗り越え大躍進(ブレークスルー)へと向かうのか、そのかつてない岐路に立たされているという自覚を、どれだけの人が持っているでしょうか?

この危機を乗り越えていくには、今という時代に居合わせている社会構成員全員で立ち向かうしか道はないです。
そして、待っていれば外からアセンションがやって来るなど決してありません。一人ひとりが気づきを行動へと移し、勇気を持って変化することでしか得られないと思います。
そして私たち人間は、誰もがその能力を持ち合わせていると思います。

僕の考えるキイワードは「いのち」「グラウンディング」「地球意識」です。

あらゆるものがモノとして消費の対象とされる現代においては、「いのち」は見えにくく、ないがしろにされやすいです。いのちの見えない、食、医療、子育て、経済、労働・・・。あらゆる場面で現在起きているトラブルは、いのちの世界、すなわち自然界の“理”が見えていないから招いたのだと思います。
多様ないのちが棲む豊かな自然があってこそ、私たちはその恵みを受けて産業を発展させ、物心両面において豊かに暮らし、この生を全うすることができると思います。

また、あらゆる選択において「いのち」の眼差しを持つことで、今ここにしっかりと「グラウンディング」できると思います。私達の体は全て自然からできています。決して大地から離れることはできません。

そして、この一つの星にひとつとなって暮らしているという「地球意識」。ガイア、ワンアース。

さらに加えると、エネルギーの源はお金ではなく「愛」です。思いやりでつながり合う力だと思います。

未来は私たちの意思とビジョンによって変えることができます。
いのちから離れることなく、意識は惑星規模に、でも肉体はしっかりとグラウンディングしている。きっとそこから「変化」は訪れると思います。
そこで肝心なのが「ビジョン」です。一人ひとりが進むべきビジョンがなかなか見えてこないから、社会の発展の方向性もバラバラで、気づきはあっても変化への勇気が沸き上がらないのだと思います。

きっと、誰かが未来のあるべき暮らしの姿や、再生への物語を描くのがいいのかもしれません。小説、芝居、童話、漫画・・・いろんな表現方法で。
パニック映画の方が儲かるからといって、ダメになる未来像ばかり描くハリウッドのおかげで、私たちや子供たちは未来を夢見れなくなっています。
このままでは確かにそうなる未来を予測できるでしょうが、それを乗り越える未来像が、今私たちに必要なんだと思います。

「ワールドシフト」した先の未来は、従来のSFのような、欲するままに全てを自在にコントロールできる、人間中心の無機質な世界ではないと思うし、宇宙に出て戦争をすることなど決してないと思います。

危機的状況を乗り越えて、希望ある未来へとシフトするための、新たな「物語」が今こそ必要とされているのではないでしょうか。一人ひとりの物語が。それは後に、再生への神話となるでしょう。この時代を共に生きる私たち全員が、新たな神話の登場人物なんだと思います。
しかし、この良い物語の結末を私たちは決して見ることはないでしょう。(悪い物語ならば別ですが)。世代をまたぎ、子供たちが苦労し、孫たち、ひ孫たちの時代になって、ようやく結果を出せるのかもしれません。
私たち世代にできることは、再生の道のりへの糸口をつけること、不の連鎖からの脱却だと思います。つまり、シフトです。

いのちの世界と地球意識への気づきが深まり、私たち一人ひとりが真に成長し、目覚め、未来の子供たちのためにも、世界を平和で持続可能なものへと“ワールドシフト”させていく、その時は今をおいてないでしょう。このまま変化しなければ、予測される未来は決して変わらないのですから。

そして、私たちが共に働くその現場は、私たちの足もとにあります。地域の中で、一緒にできることで広くつながり、共に働く。そこから相互理解が深まり、気づきが促され良い知恵が伝わり、和ができて社会が変わり始めるのだと思います。
印刷用ページ 友達に送る
投稿された内容の著作権はコメントの投稿者に帰属します。
投稿者 スレッド